町名の由来
訓子府町の名は、アイヌ語で「クンネプ」から転訛したもので「黒いところ、やち川にして水黒し」の意味から由来しています。
町の歴史
明治2年に蝦夷地(えぞち)という呼び名を北海道とし、この地方は北見国常呂郡となり、明治30年に北光社移民団の内13戸が、オロムシ(現在の大谷地区)に入地したのが訓子府町の定住の始まりです。
明治44年に国鉄網走本線が開通し、訓子府駅が開業されると、辺境の地であった訓子府もにわかに活況を示し始め、新しい農村への大きな躍進の時代を迎えることになりました。
大正4年、野付牛村に1級町村制が施行され、今の訓子府は置戸村の一部として分村独立し、さらに大正9年、置戸村から独立して訓子府村となり、開拓者の入地から23年を経て年来の宿願が達成されました。
その後、昭和26年11月に町制を施行し、訓子府町となり現在に至っています。先人の労苦に感謝しながら、この長い歳月にわたって培われてきた先人の不屈の精神を受け継ぎ、町民一丸となって「豊かで住みよい町」「だれもが住み続けることができる町」に発展させるための努力が続けられています。